〒164-0011 東京都中野区中央2-30-2
Sビルディング B1F
【TEL】03-3371-8426
【営業時間】
11:45~14:00 17:30~21:00(L.O 30分前)
土曜は夜のみ
【定休日】日曜・水曜・祝日
鮨 与志乃の歴史
鮨 与志乃の歩み
大正13年(1924年)東京 中野に生まれた前店主 石塚信一は、昭和19年に兵役につき同20年に復員してまいりました。
一面の焼け野原となった東京で食べる物も無く職も無く、その日を暮すので精一杯という日々を送っておりました。
やっと戦後の混乱も落ち着きはじめた昭和23年。
後の名店となる「与志乃 本店」に知人の紹介を経て入店いたしました。
まだ食料統制時代だった頃のことで、米1合を持っていくと、1合分のシャリにネタをつけて加工賃を頂くというシステムでした。
日本も復興の兆しが見え始めた昭和26年。
「与志乃 本店」のお客さまから、『江戸前の寿司を教えてやれる人はいないだろうか』という話がもちこまれました。 当時若く自由気儘だった店主は二つ返事で、大阪梅田地下街で江戸前寿司の店を開きたいという人のもとへと向かいます。 昭和26~27年大阪で仕事を教え任期満了とともに東京へと帰郷いたしました。 後任の職人は「すきやばし 次郎」の店主”小野二郎さん”でした。 | |
「与志乃 本店」に戻った後、「与志乃 銀座店」の支店長などを勤め一層
腕に磨きをかけておりました。
その頃実家の中野坂上では自宅を寿司屋として改築し、開店をいまかいまかと待っている状態でした。
昭和29年、与志乃 本店の親方の了解を得て、今の店の前身である「おかめ寿司」を開店しました。
開店前から評判が高かったので開店当日より連日の繁盛という盛況ぶりでした。
中野では6年間商売に励みます。
| 当時お客様として大変御贔屓いただいていた”川田嘉一郎様”より、『今度京橋に自社ビルを建てたのだが 地下でよかったら出店しないか』という有難いお言葉をいただきました。 もともと寿司屋としては京橋で育った店主ですので喜んでお誘いに乗らせて頂きました。 京橋2丁目3番地ビル「京橋 与志乃」の誕生です。
振り返ってみればすべての事が多くのお客様のご親切と愛情のお陰によるものと、ただただ心より感謝低頭いたすばかりです。 ありがとうございます。
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月日は流れ平成25年。
京橋2丁目3番地ビルは東京都主導の再開発地区に指定されます。 海外からの旅行者の方の増加、東京オリンピックの招致、丸の内地区の発展に伴う八重洲地区の見直し、様々な事象の重なりの結果かと思います。 私達がこの「京橋」という地区で店を構えられたのも”川田嘉一郎様”のおかげでございます。
50年間のことを思い返すと本当に感謝の気持ちでいっぱいです。 店の移転に際し京橋界隈、銀座周辺でも物件を探しておりました。 しかしここで原点を思い出します。 「時代の流れに乗らず、昔から伝わる江戸前の寿司を作り続ける。」 それならばと店主は考えました。 初めて独立した地、生まれ育った町、お帰りなさいの言葉を言ってくださる方たちの元へ帰ろう。 ”中野坂上”という町でもう一度新たなスタートを切ろうと決心しました。 | |
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お世話になった沢山のお客様、店主の下で修業に励み一人立ちしていった多くの若い衆たち、思い出し数え上げれば限が無いほどです。
皆様に可愛がって頂いたお陰をもちまして、60年という長い年月が過ぎました。
現在は、店主、息子、孫と三代で店を切り盛り致しております。
お客様には何かとご不自由をおかけする事もございます。
一同、江戸前寿司の原点をいつも念頭におき、これからも精進して参りますので、末永く御贔屓頂きますよう宜しくお願い申し上げます。